妹紅と朝の挨拶

  
※
ゆうぐれ、慧音の家を妹紅がたずねました。
「どうだった?」
慧音はげんかん口で妹紅にそっとききました。
けれど、妹紅はこたえません。
「……そうか。」
慧音はだまってうなづきました。
「……だれも、なにもいってくれないんだ。」
ぽつり、と妹紅は言いました。
「わたしがどれだけがんばっても、
みんな相手にもしてくれないんだ。」
妹紅はうつむきながら、
ふるえるような小さな声で、ぽつり、ぽつり。
「きっとへんなやつだ、とか思ってたんだ。
やっぱりだめだよ。みんなとはちがうんだ。」
まるで自分に言い聞かせるように。
「ん。まあなんだ、入りなさい。」

※
慧音は妹紅をへやにむかえ入れました。
こしをおろしておちついたところで、
やさしくほほえんで聞きました。
「妹紅。あいさつするとき、笑ってた?」
「えっ?」
妹紅は、とつぜんのしつもんにびっくりしました。
「わ、わかんないよそんなの……
あいさつするのにひっしだったし、
そんなこと考えてるよゆうなんて……」
妹紅はしどろもどろになりながら言いかえしました。
慧音はわらってそれにこたえました。
「だからじゃないのかな?」

※
「『おはようございます』っていうことばは、
『あさ早くからおつかれさまです、がんばってください』
って言うような、そんなことばだと私はおもうんだ。」
「よく、わかんないよ……」
「あいさつは、相手へのかんしゃの気もちを
ことばで伝えることなんじゃないかな。」

※
「きっと、いっぱいいっぱいだったんだ。
だからぎゃくに、そんなよゆうがなくて。
それでだめだったんじゃないかと、わたしは思うよ。」
慧音は、てらこやのせいとに教えるような、
やさしいことばで、妹紅に言いました。
「自分がどう思ったか、どうされたかはかんけいないんだ。
相手がどう思ったか、相手をどう思ったかなんだ。
もちろん、そんなのさいしょはできなくてもいい。
でもそれをずっとつづけていけば、きっと心からかわれる。
そしたら、きっとみんなもこたえてくれる。
妹紅がかわれば、みんながかわるんだ。
つづけること、それがなによりだいじなんだ。」
「でも……」
妹紅は、うつむきながら言いました。

※
「そんなの、むりだよ。」
妹紅の手に、ぽたりとなみだがこぼれおちました。
「わたし、すごくつらかったんだ。
みんながこっちを見てる。それだけでつらかったんだ。
わたしはみんなとはちがうって。
そう思われてる気がして。どんどんつらくなって。
こんなの、できっこないよ。やっぱりわたしは……」
ぽろ、ぽろ。
なみだもことばも、とまりません。
ただただ、こぼれおちていくばかり。

「妹紅」

※
「なあ、かなしいことをいわないでおくれ。
わたしが妹紅をそんなふうにおもったことはないんだ。」
慧音はぴしっとしたかおで言いました。
「でも……」
妹紅はかすれたこえでいいかえそうとしました。
「妹紅がみんなとちがうなら、わたしも人間じゃないな。」
「そんなことないよ、慧音はわたしとは……」
「わたしは『妹紅と同じ人間』だよ。
妹紅も、わたしも、おんなじなんだ。
だいじょうぶ、妹紅は人間だよ。みんなと同じ人間なんだ。」

※
慧音はそう言って、こんどは妹紅をつつみこむような、
やさしい、とてもやさしい声と、えがおでつづけました。
「もしもだれかが、妹紅をみんなとちがうと思ったなら、
もしもみんなが、妹紅をみんなとちがうと思ったなら、
わたしはここにいる。いつでもここにいるよ。
いつでもここにかえってくればいい。
わたしは妹紅といっしょだ、だからがんばろう。
あきらめるのはいつでもできるんだ。だから、がんばろう。」
妹紅はまた、しずかになみだをこぼしました。
けれどさっきのなみだとは、ちがうなみだ。
あたたかい、なみだでした。

※
つぎの日。
妹紅は同じ時間、おなじばしょにこしを下ろしました。
まだ少しくらい、朝のまちかど。
ほんとうは来るのもつらくて、
今すぐにでもにげだしたいくらい。
だけど、だけど……。

やがて一人、道の向こうから歩いてくるのが見えました。
かみの毛の白い、おばあちゃんです。
また、しんぞうがばくばくと音をならしはじめました。
ぎゅっとにぎりしめた手。
少しずつ近づいてくる足おと。
とてもながくかんじる時間。

※
「お、おはようございます!」
妹紅はせいいっぱいの声とえがおで言って、
あたまを下げました。
でもなんだかはずかしくて、頭をさげたまま
かおを上げることができませんでした。

※
「おはよう。」
ふいに声をかけられて、妹紅ははっとかおを上げました。
おばあちゃんが、にっこりとしたかおで
妹紅に笑いかけていました。
「こんな朝からがんばってるね。えらい、えらい。」
とつぜんのことに、あたまの中はもうまっしろ。
なんて言えばいいのか分からず、
妹紅はぎこちなく、ぺこりともういちど
頭を下げるだけでせいいっぱいでした。
「がんばってね。」
おばあちゃんはそのままとおりすぎていきました。

※
どくん、どくんと音を立てていたむねが、
時間とともに少しずつしずかになっていきます。
かわりに、なんだかあたたかいものが
じんわりと同じばしょに広がっていきます。
気づいたら妹紅は少しだけえがおになっていました。
「あいさつって、されたらうれしいんだ。」
がんばろう。すこしゆうきが出た。
妹紅は「ぱしっ」っと両方の手で
ほほをかるくたたいて、かおを上げました。
気づけば、おひさまもかおを出していました。
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