妹紅と朝の挨拶

  
これは、かの女が里とかかわりを持つようになったころのおはなし。


※
妹紅はずっと、竹やぶの中でくらしていました。
ひっそりと、こっそりと、ひとりぼっちで。
妹紅は、自分がみんなとはちがうことを気にしていました。
いつまでも年をとらない体に、きずついてもすぐになおる体。
そんな、みんなとはちがう体の妹紅。
みんなからこわがられる。みんなとはちがうって思われる。
それがつらくて、こわくて。ずっとにげていました。

※
でも、本当はただの人間。
みんなとおなじはずだった、少しだけちがう、人間。
本当は、里のみんなとなかよくなりたいと思っていました。
妹紅はそれから、たまに竹やぶでつくった炭を
里に売りに行くようになりました。

※
妹紅は、炭を売りながら、里のみんなとなかよくするには
どうしたらいいのか考えていました。
自分がみんなとかわらないこと、
おなじ人間なんだってことを、
どうしたらわかってもらえるんだろう。
いっしょうけんめい考えたけれど、いい考えは思いつきません。

※
「そうだ、慧音にきいてみよう。」
慧音は妹紅が里に来て、はじめてはなしたひと。
右も左も分からなかったかの女に、
声をかけてくれたことが、しりあいになるきっかけでした。
慧音ならきっといい考えをおしえてくれるにちがいない。
妹紅は町のがっこうにいる慧音をたずねることにしました。

※
「そうか、そうか。よーし、そうだな……」
なんだか、ちょっぴり慧音はうれしそう。
はにかんだかおで、う〜ん、う〜んと言いながら
考えごとをはじめました。
「そうだ。」
しばらくして、慧音は何か思いついたようです。

※
「道をとおる人、すれちがう人たちにあいさつをするんだ。
ただそれだけさ。どうだ?」
「それだけ?」
「言うほどかんたんなことじゃないぞ?
やってみればわかる。」
慧音はそういって、うん、うん、とひとりでうなずいて、
妹紅のあたまに手をあてました。
「がんばるんだぞ。」
少しだけ、うれしいようなはずかしいような。

※
「ただし!」
慧音はゆびをぴしっと立てて言いました。
「何のためにあいさつするのか?
それをよく考えることだ。」

かえり道、妹紅は慧音に言われたことを
妹紅には、よく分かりませんでした。
なんのため?あいさつってなんのためにするの?
言われてみれば、考えたこともありませんでした。
「まあ、いいや。きっとやってればわかる。うん。」
そう考えたところで、ちょうどお家につきました。
明日から、がんばってみよう。

※
次の日。
妹紅はあさ早くから、しょいこいっぱいの炭をしょって
里までやってきました。
まだ外は少しくらくて、ちょっとさむいくらい。
里につくまでのあいだ、妹紅はなんどもなんどもあたまの中で
あいさつするすがたを思いえがいて、れんしゅうしていました。
里についた妹紅は、まずしんこきゅう。
道のはじっこ、いつものばしょに
こしを下ろして、またしんこきゅう。
しょいこから炭をおろして、またまたしんこきゅう。
あいさつをするだけ。それだけなんだけど。

※
少しして、道のとおくから人がやってくるのが見えました。
ふいに、しんぞうがばくばくと音をならしはじめました。
なんでだろう。
妹紅はてをぎゅっとにぎりしめました。
きづいたらあせでべったり。
あいさつをするだけなのに。
「おはようございます!」って。ただそれだけ。
それだけなのに、考えると息がくるしくて。
むねがくるしくて。
妹紅は思わず目をそらして、下をむいてしまいました。
少しずつ近づいてくる足おと。
早くとおりすぎてほしい。
けど、その時間はとてもとても長くて。
けっきょく、あいさつはできませんでした。

※
「言うほどかんたんなことじゃないぞ?」
妹紅は、そう言った慧音のことばをおもいだしました。
がんばらなきゃ。がんばらなきゃいけないんだ。
しばらくして、道のむこうから
誰かがやってくるのが見えました。
どうやらからだつきのいい男の人のようです。
「こんどこそあいさつするんだ。」
どきどき、どきどき。

※
男の人のかおが分かるくらい近くにきたところで、
妹紅は、ゆうきをふりしぼって声をかけました。
「お、おはようございます!」
妹紅はせいいっぱいの声であいさつをしました。
それはけっして大きくはありませんでしたが、
心のそこからふりしぼった、思いのつまった声でした。


でも、その男の人はなにも言わずに行ってしまいました。

※
一しゅんだけ、すっと体の中を
つめたい風がとおりすぎていくような、
少しだけ、何かがけずれてしまったような、
そんな気がしました。でも…。
「めげちゃだめだ。だめなんだ。」
ぎゅっと手をにぎって、しんこきゅう。
あきらめたらだめ。にげたらだめ。
まだがんばれる。がんばろう。

※
そのあとも、妹紅はひっしであいさつをしました。
はずかしいのをこらえてせいいっぱい、
道ゆく人たちに声をかけつづけました。
けれど、みんな妹紅をちらっと見るくらいで、
あいさつをかえしてくれる人はいませんでした。
なんのために、こんなことしてるんだっけ。
妹紅には、よく分からなくなってしまいました。

※
広がっていたあたたかいものも、どきどきも、
だんだんと冷たくなっていきます。
むねに、何かでつっつかれたような
かなしい痛みが、ずきん。ずきん。
さっきもらったゆうきもどこへやら。
そのうち声はちいさくなり、
やがて、おひさまがくもの向こうに
隠れてしまうようにくらく、消えてしまいました。
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